やはり僕にはカメラの断捨離は向いていない。
今年の1月にこんな記事を書いた。

大層な内容…にもかかわらず、その後
①LUMIX GX7MK2
②α7ⅲ
を買い、レンズだって
①Olympus M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0
②LUMIX G macro 30mm F2.8
③SONY FE 50mm F2.5 G
を買っている。
本当に情けない…
その時その時に言い訳はあるっちゃあるが、買った事実は消えやしない。
で、GRだ
RICOH GR、言わずと知れたスナップシューター。
シリーズを通して主なデザインに変更が無いのは良いのか悪いのか。
今回買ったGR(APS-C初代)は、僕にとって何台目のGRになるんだろうか。
たぶん、GR digitalを通して7台目ぐらい?(苦笑)
もちろん過去買ったものは1台も残っていません。
すべて機種変更の犠牲になっていただいてきました。
それなのに、なぜ買う必要があったのか
僕のメイン機はRX100M7。(そう思うようにしている)
手のひらに載るほど小さいくせして、
(1)ファインダーあるんだぜ!
(2)背面液晶はチルト式
(3)24-200mmのズームは旅カメラにもぴったり!
とまあ、自慢したくなる機能盛沢山なのはさすがSONYっぽいカメラと言えるでしょう。
しかし、ズームレンズだから仕方がないけれど、起動が若干スローなところは少し残念。
というかかなり惜しい。
街なかでスナップするとき、
下町っぽい場所を切取りたいとき、
昭和っぽいアパート(文化住宅系)を記録しておきたいとき、
GRが欲しいなと思う場面に数え切れないほどに出会う。
写真はある意味、記憶であり、記録だ。
だから心が1ミリでも動いたならそれは残すべきなのだ、たぶん。
その行為(欲求)を満たす機材は、GRだけなんじゃないだろうか。
新品は高いうえに、抽選だし、それに必要な機能は初代で十分賄える。
そんなとき、マップカメラでたまたま見つけた中古良品を手に入れたのだ。
今回のGRを含めても、一度手放したカメラを買い戻すことがなぜか増えてきた。
そんな無駄の象徴のような買い物をしなくて済むように、防湿庫だけは断捨離の治外法権ということにするほうがいいんだろうなと最近は開き直っている(笑)
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