自宅のバラが咲き始めて、思うこと

我が家の鉢植えのバラが一斉に咲きだした。

それほどの手間をかけていないのに、春と秋にきちんと咲いてくれる。なんて健気なんだろう。

僕がしていることと言えば、とりあえず一番陽当たりの良い場所において、水はたっぷりと、追肥を時々、冬場に本当に適当な剪定を行い、2年に一度鉢の土を買えるくらいだ。

たったこれだけのことでたくさんの花を咲かせてくれる。とても嬉しい。

まあ、陽当たりが良すぎて、花びらがすぐに日焼けしてしまうのは玉に瑕だけど。

 

α7s ILCE-7S、carl zeiss jena Pancolar 50mmF1.8

 

 

さて、植物を育てていると、ふと子育てについて思うことがある。

当たり前の話、同じ『育て』でも全く中身は違う。

植物は1年草であれば1年。多年草でも、花が終わるごとのワンサイクルの繰り返しにすぎない。もちろんそこに多少の工夫で花の数や収穫の多さに違いは出てくるんだけど。

しかし、子『育て』には、いわゆるワンサイクルがない。それは日々の積み重ねだし、そこに子供の自我が絡んでくるから決して単純な作業ではないうえに、どこが終わりかなんて定義すらない。いい歳した人間が凶悪犯罪を起こしてしまえば、「いったいどんな育て方をしたんだ!」と親にも非難の矛先が向いてしまうのだから。

その正解なんて誰にもわからないんだ。

 

α7s ILCE-7S、carl zeiss jena Pancolar 50mmF1.8

 

 

とまあ、ここでこんな難しい話を続けるつもりはなくて、結局は写真の話に落ち着く。

植物と違って、子供の1年1年はそれっきりなわけで、その記録を記憶にだけ頼ってしまうとそのキャパの問題もあって、かなり厳しい。だから写真であったり動画なんかに頼ることはとても大切だし、子育てにおける重要な行為のひとつだ。

ところが、僕はどうもその大切なことを結構おざなりにしてきたような気がする。

もっと若い時から写真をちゃんとやっておけばよかった。写真やビデオの管理方法を知っておけばよかった。彼らがまだ赤ん坊だったころの写真や動画をどこにやってしまったんだろう。

そのあたりの几帳面さが僕には欠けている。ふと子育てのことを思うと自然とそのあたりの後悔が湧いてきて、苦い思いを噛みしめることになる。

 

 

PENTAX K-5Ⅱs、smc DA 50-135mmF2.8

 

 

 

毎年「植物ってちゃんと応えてくれるなあ」って、思ったことから始まる他愛のない話だ。

 

 

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