5月に買った本

 

kindleを買ってから、7:3?いや8:2の割合で、電子書籍を買っているんじゃないだろうか。
家の本棚がすっきりするし、案外に軽くて気軽に持ち出せる分kindleはいい。

だけどね、たまには本を手にしたくなるんだ。

 

森山大道 『Osaka』

 

写真を趣味にしてもう何年か経つけれど、未だに自分が撮りたいものがはっきりとしない。
子供が格好の被写体になってくれていた時に、もっと真剣に写真の勉強をしておけば良かったと思ってもそれは後の祭りだ。
JPEGでしか撮ってなかったし、露出もWBもお構いなしにただシャッターボタンを押していた頃。
ああ本当に勿体ない…

ところで先日、stayhome期間中に、以前NHKで放送された森山大道のドキュメンタリーをYouTubeで見た。

森山大道
言わずと知れたストリートフォトグラファー、僕ごときが語るにはあまりにも偉大過ぎる…

ストリートって、今なかなか撮り難い分野のひとつだろう。(演出を抜きにして)
それは、今年早々にFUJIFILMがやっちゃた一件でも明らかだ。
僕も、梅田なんかで時々カメラを構えたりするけれど、それはそれは気を使う。
ストリートっていうよりも、都市風景の一部として人が写っている。
そんなありがちな写真になってしまう。

でだ、ドキュメンタリーの話。

彼が写真を語る中で印象に残ったのは、
「撮らなきゃだめだよ、もっと枚数を撮らないと見えてこないことが沢山ある」
そんな言葉だ。

シャッターを押して、押しまくることで見えてくる世界。
要はその領域に達しない限り、写真を語るなんてできやしないだろうなあと感じた次第。
そして、『街を記録しよう』とも思った。
記憶も大事だけど記録としての一面も写真にはある。
そう思ったんだよね。

でだ、彼は大阪をどう切り取ったのか?

それを知りたくて購入した。

 

最初のページに現れたのは、天王寺公園だった。
それも今は、「てんしば」とか言ってかなりおしゃれを演出している天王寺公園ではなく、ブルーシートや段ボールが目立ちまくっていた、そう昼間でもその中を歩くのを躊躇ってしまうほど荒んだ天王寺公園の写真だった。
最初の写真がそれということは当然、この写真集の中の大阪はすべて昭和の時代、それも僕が10代の頃に見た大阪の都市風景だ。
だけど写真そのものは、ノスタルジーなんて甘い言葉が一切浮かんでくるようなものではない。
むしろ痛みすら感じてしまう。
なぜか?

彼が言うように撮って撮りまくったら、その答えを見つけることができるのかもしれない…

 

又吉直樹 『東京百景』

初めての又吉直樹だ。
芥川賞を受賞した「火花」も読んだことがない。
もともと芥川賞受賞作には興味を示さない。むしろ直木賞受賞作の方に興味を惹かれる俗な人間だ。

だけど正確に言うと、まったくの初めてではない。
朝日新聞の土曜日別刷に時々彼が書くエッセイが載っていたことがあって、それは何度か読んだことがある。
その時の印象はむしろ好ましいものであって、突然掲載が止まったときは少し寂しかった。
けれど彼の作品を買うという行為には結びつかなった理由はよくわからない。
所詮芸人さんが書いてるんでしょ?
そんな失礼な気持ちがあったのかもしれない。

そんなひねくれた僕の背中を押したのは、最近お気に入りのエッセイストさんが推薦する本の中の1冊だったからだ。

エッセイだからと油断していると痛い目に合う

そこには、笑いを取ろうなんて姑息な考えなど微塵も感じない研ぎ澄まされた文章が顔を出す。
1980年生まれ。
ということは僕より一回りも下だけど、その年の差に反比例するほど彼は多くの本を読んできたのだろう。
読書量に裏打ちされてこその、エッセイが、全てではないけれど、多くを占めている。
そう、油断しちゃいけないんだ。
けして、
『笑ってください。笑ってもらってこその僕のエッセイなんです。』
そんな気配は一切ない。

先の森山大道といい、又吉直樹といい、今月手に入れた2冊の本はたまたまに、『量』という課題を僕に突きつけてきた。

ところで、この東京百景の表紙の女性、僕は「夏帆」だと思ってたけれど、正解は「のん」でした。
まあ、どうでもいい話ですが(笑)

 

 

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