ブログと写真の相関性

FUJIFILM X100F

少し暖かくなった日曜日。
独りで日本橋をウロウロしていた。

なんかいい写真が撮れないものか?

そんな受け身的な気持ちで撮れる写真なんてあるわけもなく、ただ漫然と人波に身を任せていた。
信号待ちでふと思いついたのが、難波に変わった神社があったはずで、とりあえずそこに行ってみようというプラン。
スマホで検索しておおよその位置関係を把握して歩き始めた。

元来僕はキタの人間で、日本橋、難波界隈は観光客並みに、いや実際にはそれ以下に疎い。
だから無駄に行きすぎたり、戻りすぎたりして、随分と遠回りをする羽目になった。

ブログの為の写真を撮らなくなったなあ。

何度目かの信号待ちでそんなことを思った。

長々と連ねた文章ですべてを表現できるほどの文才はないので、端折るためにはどうしても写真が必須だった。特にブログを始めたきっかけは、キャンプだったから。

結婚して子供ができて、物心つき始めた子供を連れてキャンプに行こうと考えるようになった。僕自身のキャンプ経験はそれこそ小学生まで遡る必要があった。当然連れていかれる側で、連れていく側の経験値はなかった。
だから必然的にその経験値をネットに求めることになる。

キャンプブログ(ナチュブロ)を読み始めて、物欲キャンパーと化し、その後自らブログを書くようになる。そしてそのブログのために写真を撮るようになる。
そう、キャンプに行くことが目的から手段に変わったのだ。

そのうち、いい風景を見たくて山を登り始めた。
しかし山の景色は、僕程度の技術とか感性では写しきれない程に素晴らしく、そのうち重たいカメラを持って山を登る行為が虚しくなったし、その都度その都度、ブログの為の写真を撮ることがしんどくて、バカバカしくなったのだ。

こう振り返れば、山を登り始めた頃からブログを書くという行為が激減していくことになったことに気づく。
ただ、ナチュブロから今に至るまで完全にブログを捨てきれないのはなぜだろうか?
しかも、だれが読んでいるか全く見当すらつかないようなこのブログで(笑)
おそらくそれはときどき、無性にどうでもいいことを長々と連ねる必要が僕の中にあるからだろう。
TwitterやInstagramでは、物足りないのだ。

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